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2008年4月 5日 (土)

ノンちゃんの生みの親雲に乗る

 石井桃子さんが亡くなった。101歳。児童文学者で、翻訳、執筆した主な作品だけで200を超え、海外のすぐれた物語や絵本を紹介して日本の児童文学の幅を広げた、ということだが私にとっては、はるか昔、子供のころ読んだ「ノンちゃん雲に乗る」の作者だということに尽きる。

 新聞記事によると「ノンちゃん雲に乗る」が出版されたのは1947年だそうだが、私がこの本を買ってもらったのはいくつのときだったのか、もう何も憶えていない。ベストセラーになったそうだから、それではうちの子にもという程度のきっかけで親は買ってくれたのだろうか。
 この本の作者が石井桃子だということを読んだときに知っていたかどうか、たぶん知らなかっただろう。後年彼女の事を新聞か何かで読んだときにはじめて、あの本は石井桃子だったのかと認識したのだと思う。

 話の筋はおとなになっても記憶に残っていたのだが、さすがにしだいに欠落していって、今はもうおぼろになってしまった。そういうことを覚えているのは、この本のことをときどき思い出したからなのだろう。石井桃子の名前を目にする都度思い出したのか、そういうこととは関係なくときどきふと思い出したのか、それももうおぼろだ。
 今思い出せるのは、お兄ちゃんが池の上に張り出した木の幹にまたがり那須与一になって、「よっ引いてひょうと放つ」と言う場面(それすら定かでなくなりつつあるが)など、ごく断片的なかけらや欠片とも言えないほどのあわあわとしたものばかりだ。

 同じころ読んだほかの本のことはさらに記憶があいまいだ。内容をぼんやりと思い出すだけで本の名前を並べることはできない。
 「ノンちゃん雲に乗る」だけが今でも心の片隅に残っているということは、よほど強い印象を受けたのかもしれない。

 作者も買ってくれた親ももういなくなり、読んだ本も当時住んでいた家もとっくの昔になくなったが、「ノンちゃん」は、かげろうのように頼りなくなりながらも、まだ私の中にいる。忘れた部分は忘れたのではなく、溶けてしみ込んで私の一部になっているのだろう。
 一度読みかえしてみようか。もしかしたら、話の内容だけでなくほかのことも思い出すかもしれない。

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