五十歩百歩
何回目かの電話を終えたあと妻は、義姉が「私」と言うところを「おばあちゃん」と言う、とおもしろそうに話した。孫や娘と話すときならともかく、離れたところに住む妹に向かっても自分のことを「おばあちゃんがどうした」「おばあちゃんがこうした」と言うのがおかしいと。
だが、妻は気づいていなかったようだ。妻のほうは「おとうさんがどうした」「おとうさんとああする」「おとうさんにこうする」と、「おとうさん」を連発していた。「おとうさん」とは自分たち姉妹の父親のことではなく、連れ合い、つまり私のことなのだ。
自分の夫を「おとうさん」と言う人が自分を「おばあちゃん」と言う人をおかしがるのをそばで聞いているほうがもっとおかしい。
その「おとうさん」だが、娘一家といっしょにいるときはややこしくなる。そのときも私は妻や娘から「おとうさん」と呼ばれるのだが、その場にはもうひとりの「おとうさん」がいる。娘の婿殿、孫たちの父親だ。
孫たちが小さかったころは、「おじいちゃん」がなぜ「おとうさん」と呼ばれるのか不思議だったようだ。一般的には「おとうさん」は孫ができると「おじいちゃん」に格上げ(?)されるのだろうし、じっさいわが家でも孫を基準に話をするとき私は「おじいちゃん」と呼ばれる。
だが、孫がいないところでも「おじいちゃん」と呼ばれることに私が抵抗したものだから、妻も娘も娘婿も私には「おとうさん」と呼びかける。妻はほかの人に対しても私のことを「おとうさん」という。私はそれも好きではない。私は彼女の父ではない。でもまあ、あまり目くじらを立てても仕方がない、そのあたりで妥協している。
妻は孫が生れたあと「おばあちゃん」と呼ばれることを素直に喜んでいたから、義姉との違いはそれを一人称代名詞として使うか使わないかだけのことだ。五十歩百歩というところだろう。
いや自称するかしないかは大きな違いか。義姉は一族の総領娘として娘も孫も妹も一括りに見ているのかもしれない。妻にそういう視野はない。
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