2012年1月24日 (火曜日)

五十歩百歩

 数日前のことだが、妻が急用で姉、私からすれば義姉、に何回も電話で話をしなければならないできごとがあった。
 何回目かの電話を終えたあと妻は、義姉が「私」と言うところを「おばあちゃん」と言う、とおもしろそうに話した。孫や娘と話すときならともかく、離れたところに住む妹に向かっても自分のことを「おばあちゃんがどうした」「おばあちゃんがこうした」と言うのがおかしいと。

 だが、妻は気づいていなかったようだ。妻のほうは「おとうさんがどうした」「おとうさんとああする」「おとうさんにこうする」と、「おとうさん」を連発していた。「おとうさん」とは自分たち姉妹の父親のことではなく、連れ合い、つまり私のことなのだ。

 自分の夫を「おとうさん」と言う人が自分を「おばあちゃん」と言う人をおかしがるのをそばで聞いているほうがもっとおかしい。

 その「おとうさん」だが、娘一家といっしょにいるときはややこしくなる。そのときも私は妻や娘から「おとうさん」と呼ばれるのだが、その場にはもうひとりの「おとうさん」がいる。娘の婿殿、孫たちの父親だ。
 孫たちが小さかったころは、「おじいちゃん」がなぜ「おとうさん」と呼ばれるのか不思議だったようだ。一般的には「おとうさん」は孫ができると「おじいちゃん」に格上げ(?)されるのだろうし、じっさいわが家でも孫を基準に話をするとき私は「おじいちゃん」と呼ばれる。

 だが、孫がいないところでも「おじいちゃん」と呼ばれることに私が抵抗したものだから、妻も娘も娘婿も私には「おとうさん」と呼びかける。妻はほかの人に対しても私のことを「おとうさん」という。私はそれも好きではない。私は彼女の父ではない。でもまあ、あまり目くじらを立てても仕方がない、そのあたりで妥協している。

 妻は孫が生れたあと「おばあちゃん」と呼ばれることを素直に喜んでいたから、義姉との違いはそれを一人称代名詞として使うか使わないかだけのことだ。五十歩百歩というところだろう。
 いや自称するかしないかは大きな違いか。義姉は一族の総領娘として娘も孫も妹も一括りに見ているのかもしれない。妻にそういう視野はない。

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2012年1月16日 (月曜日)

封印

 ふだん自由気ままにそのときそのときの気分や都合に合わせて行動している。いつ何をしようという計画はあることはあるが、「いつ」はきわめて流動的、きわめて暫定的なものでしかない。「なにを」すらちょいちょい消えたり別のものが出てきたりする。
 ところが外で行なわれる行事に参加したりほかの人と会う約束をしたりすると、その日時は固定されてしまってこっちの勝手で変更することができない。これは心理的にたいへん不自由だ。

 隣の市でときどき土曜日の午後に落語会が行なわれる。近いし安いのであるが、この何回か、同じ日に家族の都合がほかにできてそっちを優先しなければならなかったり、体が疲れていたりして、落語会に行くのをやめることが続いた。行くときは会場で当日券を買って列に並ぶので、やめるときも簡単にやめてしまえる。
 先週の土曜日にこの落語会が行なわれた。このときもほかに用事が二つ三つあったのだが、時間をずらしたり翌日に繰り延べたりして、久しぶりに聴きに行った。じつは、用事の問題だけではなくて、のんきに落語を聴きに行くような浮かれた気持にはなれない事情があるのだが、それはいっとき封印することにした。そういう事情があるので行きたくない気分もあったのだが、それにも封印をした。

 出がけに少しもたもたして、着いたときは開場30分前をすこし回っていたのだが、列は予想したよりは短かった。そのあと、少しずつ伸びて最後にはずいぶん長々となっていた。
 入ると、いつものように最前列から3列目あたりにかけての演者にもっとも近いあたりはすでに埋まっていて、そのうしろに空席が続いて、半分あたりにある横通路の後ろからまた席が埋まっていた。

 前のグループのうしろに席を取った。演者がよく見えそうな場所だが、逆に演者からも丸見えでこれでは居眠りができない。
 じつは、前夜は寝つきが悪く、眠りが浅く、寝覚めが悪かった。これでは居眠りは必至だ。近くに前の人の陰に隠れる席が空いていたのでそこに移った。
 始まる前から眠くなった。あらかじめ用意してきたガムを口に入れた。タイミングよくアナウンスが流れた。「場内での飲食は固くお断りします」
 あやうくガムでのどを詰まらせる、ということはなかったが、なるべく目立たないように口をもぐもぐさせて、開演前の照明が暗くなるときを見計らってそっと口から出した。すこしあわてたので、まだ暗くなっていなかった。

演者             演目
柳亭市也(前座)     出来心
柳家喜多八        笠碁
瀧川鯉昇          時そば
(仲入り)
柳家喜多八        長命
藤間龍玉          日本舞踊(鶴亀・木遣りくずし)
瀧川鯉昇          味噌蔵

 残念なことに、はじめから終りまでずっと眠かった。おまけのことに、お隣も眠っていた。
「事情」と気分にいっとき封印したはずだが、そんなことをしていっとき楽しもうとしたのが間違っていたのかもしれない。お隣さんにどんな事情があったのかなかったのかは知らないが。

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2012年1月14日 (土曜日)

しもやけと毛糸の帽子

 この冬も、しもやけに一ときながら取り付かれた。いまだにしもやけから解放されない。

 最初は右の耳介の中ほどよりやや上の外縁部。ちょっとかゆくなったので、何気なく指で触ったとき、少しはれているのに気づいた。さいわいまだ小さかった。
 もう朝と夜の寒中ウォーキングはまったくしておらず、昼も外で過ごす時間は以前よりはずっと少ないから、しもやけはできないだろうと高をくくっていたので、不意を突かれたような思いだった。血の巡りがいっそう悪くなってきたのかもしれない。
 患部にメンソレータムを塗ったり、風呂で深々と耳たぶまでお湯につかったり、さすったりしているうちに治った。メンソレは手元にあって手っ取り早かったから塗ったのだが、それが効いたのかどうかはよく分からない。

 せっかく治ったのに、入れ替わるように、同じく右側ながらこんどは耳たぶにしもやけができた。これもごく初期のものだった。
 対策もだいたい同じ。メンソレータムを塗る。風呂で体をずらして肩を沈め首を沈めてしもやけの耳たぶをお湯にひたす。もむ。耳たぶは揉みやすい。

 最初のときにも重用し始めていたのだが、出かけるときはかならず毛糸の帽子を被るようになった。
 帽子は二つあって、一つは息子が置いていったお下がりの厚手のものだが、洗濯のせいで縮んだか、やや小さめだ。もう一つは、これも息子が買って私にと持ってきた薄手のものだ。こっちはゆったりしている。

 そもそも髪が少ないうえに刈り上げていてほとんど防寒効果がないので、頭は放熱装置になっている。毛糸の帽子でこれをすっぽりと覆うと頭部がぽかぽかと暖かい。ただ、耳の上半分は帽子の中に入るが、下半分はさいしょ帽子で覆ってもいつの間にか帽子が上がってくる。
 とくに自転車で走るときは上体をやや前かがみにして顔をすこし上げるので、帽子の後ろ側が上着の襟で押し上げられて、走りながら帽子を引っ張っても引っ張ってもいつのまにか耳が半分出てしまう。
 それでも、耳のつめたさをほとんど感じない。

 厚手と薄手は適宜気の向いたほうを被って出るが、とくべつ気温の低い日には薄いほうは寒風を透すから、そういうときは厚手のほうを被る。
 薄いほうの帽子は部屋でもかぶった。右の耳は必ず帽子で覆う。これがいちばん効果的だったのかもしれない。頭が温まる。耳も温かい。耳たぶにも血が通うようになったのだろう。

 しもやけはやがて消えた。今はどこにもしもやけがない。
 耳のしもやけには毛糸の帽子が効く。

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2012年1月 9日 (月曜日)

異音源

 図書館とホールのある建物の一階の駐輪場に自転車で入っていくと、どこからか異様な音が聞こえてきた。何と表現すればいいのか、工場の機械の連続音を厚い壁越しに聞くようなとでもいうか、わんわんうなるような聞いたことのない音だった。

 自転車を空いた所に入れて、ワイヤー錠をかけて、階段に向かった。音は上から聞こえてくる。歩いているうちに少しずつ見当がついてきた。音ではなくて声だ。上にはホールがある。今日は「成人の日」。

 階段室から出ると、黒っぽいスーツの若い男たちと振袖の娘さんたちがぎっしりホール前の広い通路を埋めている。彼らが発する声だったのだ。成人式に出席するためにやって来て開場を待っているのだろう。

 そのわんわんうなる音響は小学生集団のおしゃべり声の成人版だ。電車の駅や車両の中で小学生の一団といっしょになることがあると、スズメがねぐらに集まって一斉に鳴き交わすときの鳴き声の音量を増幅したようなかしましい話し声が鳴り響くが、目の前で鳴り渡る音響はそのぴーちっくぱーちくの音程を下げて音量をさらにいっそう増幅した「うなり」だ。
 女性のほうが少ないようだ。だから音程が低く音量が大きくて、子供や女性の群れから発する甲高いおしゃべり声と違って異様な感じがしたのだが、そのぺちゃくちゃぶりは小学生や幼稚園児と変わらない。まるで小児の群れがぺちゃくちゃしゃべりながら体だけ大きくなったような。

 全体を眺めるとそれは個性のないクローン若者のかたまりにしか見えない。もちろん振袖の柄は一人ひとり違うのだが印象は皆同じ、スーツに至っては柄の違いすら識別できない。
 その中に分け入って抜けなければ図書館の入口にたどり着けない。黒いクローン兵軍団と対決しなければならないとはやっかいなときに来合わせたものだ。引き返してもいいのだが、ここまで来たのだからまあ行ってみよう。

 全体が一つの塊になっているように見えたが、中に入ってみるといくつもの団子に分かれている。団子と団子の境は少し密度が低いので、一人ひとりを右に左にかわしながら、団子のふちに沿ってうねるように前進する。

 ようやく図書館に入った。中はいつもの図書館の静かさだった。
 カメラ雑誌を取って奥の空いた席に座ると、窓の外に成人式軍団が眼下に見えた。ざわめきがガラスでは防音しきれず窓際の席に届いた。しばらく雑誌を取り替えて読んでいるうちに少しずつ外が静かになってきて、見ると人がだいぶ減っていた。
 外に出た。楽に歩くことができた。

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2012年1月 6日 (金曜日)

プリンタ騒動収束記

 年末23日に年賀状を印刷しようとしたときプリンタが故障した。大慌てで現在売られている機種をインターネットで調べて、翌日24日に量販店へ買いに行った。
 買って帰ったところが「初期充填」という最初の処理がうまくいかない。メーカーに電話したが、担当者は代わりの「初期充填」用のインクを送るからそれでやり直せというだけで、いっこうに埒(らち)が明かない。こっちは大急ぎで年賀状を印刷しなければならないのだが、考えてみればメーカーではそれ以上の対応は無理だ。店に電話して持って行って交換してもらい、「初期充填」を店頭でやってもらった。最初から販売店と話をすればよかったのだ。
 帰ってから苦労しながらその他の初期設定を済ませた。25日に年賀状のプリントを完了したが、手書きメッセージを加える気力はもはやなく、そのまま投函した。古いプリンタは29日に粗大ごみ受け入れ所に持ち込んで処分した。
 それで騒動は終わったかというと、そうではなかった。

 なにはともあれ年賀状を急いで印刷しなければならないので、初期設定のとき安全確実なUSBでPCとの接続をしたのだが、思えばそれがその後の苦労の原因だった。
 そのあと有線LANでの接続設定をし、それに成功して最後に無線LANの設定をした。順繰りによりむつかしそうな方へと接続設定をしたのだが、プリンタはPCとは別の部屋に置くから常用するのは無線LAN接続で、ほかの二つはまず使わない。

「スタート」から「コントロールパネル」、「プリンタ」とたどってプリンタの設定状況を見たところ、同じプリンタにアイコンが3つ、接続手段ごとにある。前のプリンタではそんなことはなかったのに、なぜ3つもアイコンができたのだろうか。
 同じプリンタに3つもアイコンがあるというのももわずらわしいので、USB接続の「プリンタ」アイコンと有線LANのを削除した。同じく、タスクバーというのか画面下の右側のアイコン群の中にもプリンタのアイコンがあるが、これもプリンタはふだんはめったに使わないのに常時そこにあるのはわずらわしい。これも削除した。

 設定したとか削除したとかあっさりと書いたが、じっさいは、ああでもないこうでもないと四苦八苦、すったもんだの試行錯誤の連続だった。しかも、私はPCについての系統だった知識を持っていないので、そのときそのときのいい加減な場当たり処理だった。

 せっかく最新型のプリンタを手に入れたのだからといくつか印刷しているうちに、インクの残業を示す画面で「通信エラー」という表示が出てグラフがグレーになっていることに気づいた。最初のころは確かに表示されていたのだが、いつから表示されなくなったのか分からない。原因などさらに見当もつかない
 印刷はできるのだからPCからの信号はプリンタに届いているのだ。プリンタからの信号がどこかでブロックされるか無視されるのだろう。印刷されれば差し当たってプリンタの本来の仕事はできるのだし、インク残量表示はプリンタの液晶画面で確認することができるのだが、エラー表示が出るのもいやだし、せっかくPC側で見ることができるはずのものが見えないのも残念だし、それに何かトラブルがあったときに来るであろうエラー通知が来ないのは困る。

 メーカーのホームページで調べたり、インターネットで検索したりすると、「共有」をああしろとか「双方向」をこうしろとか、ファイヤーウォールソフトウェアに例外設定をどうしろとか、いろいろあって、あれやらこれやらの対策を、これも行き当たりばったりのやりかたで試してみたが改善しない。
 印刷できるのだからこのままでいいことにしようと見切りをつけては、またあれやらこれやらやってみる。やめたり再開したりを繰り返した。どういうことをやったか、自分でも思い出せないのでここには書くことができない。
 ドライバーソフトをアンインストールして再度インストールするということも何度かやった。何度目かのアンインストールと再インストールのあと、エラー表示がなくなってインク残量グラフが表示された。「犬も歩けば棒にあたる」たぐいのうろうろ歩きの末の大当たりだった。

 さいきんのPC周辺機器はつなげば自動的に設定が行われる「plug and play」だと言い、たしかにPCもプリンタもせっせと動いて何かやっていたが、まだまだ人のやるべきことも多い。ちょっと手順から外れたことをしたときに、機械は「それ違いますよ」とは言ってくれない。けっきょくは人が右往左往しなければ解決しない。

 ともかくも、きのう5日、プリンタ騒動はようやく収束した。一応。

 いろいろいじくっている最中にこれが「複合機」であることをあらためて意識した。とくにスキャン機能。これはおもしろそうだ。波静かになるまではもうしばらくかかるかもしれない。

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2012年1月 1日 (日曜日)

地震で幕開け

 午後2時半ごろ、突如ぐらぐら部屋のものが揺れ始めた。地震。震度3ぐらいだろうか。
 すぐテレビをつける。神奈川県は東部が3、西部は4。しばらくしてからPCのサイトで調べると、震度4は茨城県や千葉県あたりを中心に1都8県に及んでいる。震度1まで含めると日本全国のうちかなり広範囲が揺れたようだ。年が変わってすぐのころにも新潟県で最大震度4の地震があった。
 平成24年、2012年が地震で明けるとは思いがけなかった。ことしも油断するなという天からの警告のようにもある。

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元旦の感

 正月を迎えた。朝の食卓には簡素ながらいつもと違って正月料理がならぶ。年ごとにスーパーマーケットのできあいのものが増えているらしい。出来合いのおせち料理は塩辛い。雑煮を食べる。二人きりの正月の朝は、食べるもののほかは、いつもの朝と違わない。違わないけれど、二人きりだけれど、正月のあいさつをする。
 子供たちがそれぞれに家庭を持ってそれぞれに正月を楽しんでいるのは、めでたいことなのだが、さびしくもある。私も親に同じ思いをさせたのだからぐちる資格はないのだけれど。

 さいきんは時間の経過に無頓着になってきて、おやおやいつの間にやら12月、あれあれもう31日、そうかあしたは正月か、などと時間の流れにぷかぷか浮んでいるうちに正月になってしまった。
 若かったころは、時間が過ぎてゆくことに対して、たとえるならば、渇きを癒そうと手にすくった水が飲む前に指の間からこぼれていくような、焦燥感のようなものを感じていたように思う。
 考えてみれば私はすでに人生の8、9割を指の間からこぼしてしまって、手にまだ残っているのはほんの1、2割ほどでしかない。しかも未来のことは分からない、もしかしたらあと1年か2年か数年で終わってしまうかもしれないのだ。なのに、今はこぼれるものをこぼれるままに眺めている。それでも手の中の時間はなにやらたっぷりあるように見える。
 思えばかつては、時間のあちこちに印がついていて、次から次へとやってくる印に追いまくられていたうえ、自分がやりたいことはいつも後回しにせざるを得なかったから、時間の不足に焦燥を感じていたのかもしれない。今は期限に追われることがない。時間はまるまる自分のものだ。たっぷり感もむべなるかな。

 わがマンションの玄関には大きな門松が飾られている。「門松は冥土の旅の一里塚」とは一休禅師の狂歌の上の句らしいが、私の誕生日は正月に近いから満年齢で歳を数える今でも門松は私には一里塚、だらだらと流れる時間につける数少ない印のひとつだ。あといくつ私の一里塚は残っているのだろうか。

 年賀状が来た。1枚出していないところから来たので、遅ればせながら年賀状を書いて、ではなくてプリントして少し書き込みをして、本局まで自転車で一走り。途中、初詣の行列が神社の境内から鳥居の下をくぐって歩道まで伸びて行く手をふさいでいた。手前の信号で反対側に渡る。帰りは少し回り道になるが裏の道を走った。
 娘婿から新年の電話。妻が出て、向こうは娘に替わる。
 朝からニューイヤー駅伝の映像がテレビから流れ続け、お茶を飲み、元旦の一日は過ぎて行く。

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2011年12月30日 (金曜日)

往年のある日

 大掃除のことを書いていて思い出したのだが、子供のころのある日のかすかな光景があわあわと目に浮んだ。
 庭の日なたに畳が2枚ずつ屋根型に寄せ掛けて干してある、そういいう光景だ。全部の畳が庭やあるいは道路にも出されていたのか、一部の部屋の分だけだったのか、そういったことはまったく記憶にない。
 まだ家具が少なかった時代だから、畳は外しやすかっただろうけれど、それにしても両親二人だけではちょっと大仕事だったのではないか。子供たちはまだ小さくて邪魔にこそなれ何の手助けにもならなかっただろうから、誰か大人が助っ人が来ていたような、というこれもかすかなかすかな記憶がある、ようなないような。

 それ以外には年末の大掃除についての記憶がない。大掃除をしなかったわけではなかっただろうが、どういうわけか覚えていない。一つあるのは母が障子の張替えをしている姿だが、年末恒例のことだったのかほかの時期だったのか、何も手がかりがない。

 というふうに、畳を外に出して干すというかつての年末大掃除風景を、私は人生のごく初期のころ、経験したことがようやく記憶にきざみつけられるかどうかという時期にかろうじて目にした(ことがあるらしい)。
 と書いてきたが、それが年末大掃除の風景なのかどうか、考えているうちに分からなくなってしまった。

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歳末のある日

 年末の大掃除は、以前勤めていたところでもわが家でも、若かったころはわりあい大掛かりだったがしだいに簡略化してきた。
 ことしは、きのうの午前だが、妻が一人で普段やらないところを磨いた程度で、私に至っては何も手伝わないで本を読んでいた。そこらあたり、私たちは古い。

 午後、粗大ゴミ引き受け所に壊れたプリンタを持って行った。年内最後の日だったので門前の道路に長い車の列ができていた。二人の整理係がいて順に中に入れたり待たせたりしていた。反対側から来た車は素通りさせられていた。こっちの列の後ろまで行ってこっちの列に並べということのようだったが、どうやって向きを変えるのだろうかとひと事ながら気になった。
 順番が来て構内に入ると、中でも何人もの整理係があちこちで車を手際よくさばいていた。車は荷を降ろす前と降ろしたあとの2回同じ計量台に乗るので、ギリシャ小文字のアルファ(α)の字なりに、降ろす前の駐車場、計量台、荷降ろし場、計量台、降ろしたあとの駐車場、と誘導に従って移動しなければならない。「前」と「あと」のそれぞれの駐車場で都合2回事務所へ行って事務手続きをしなければならないから、一人で行くと忙しい。きのうは妻が助手席に乗っていたから、私は運転席に座ったままで事がすんだ。

 つぎにイトーヨーカドー。混んでいた。正月用品があちこちに。わが家は正月飾りをしないのでそういう売り場は素通りして、妻は正月用の食品を買った。ままかり漬けがあったのでバスケットに。あとで確認したら新潟産だった。花も買った。

 さいごに墓へ。ことし最後の墓参り。墓石を洗ったところで花を供えたところで、親不孝の償いになるわけではないけれど。それも、洗って供えてさっさと帰るのだから、親も嘆いているかもしれない。もう少しゆっくりしていったらどうやねん。まあ、墓に行くたびに少しだけれど親のことを思い出すのだから、それで勘弁してもらうことにしよう。また来年来ます。

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2011年12月29日 (木曜日)

落語がいっぱい

 落語の番組は思いのほかたくさんある。新しい番組も増えているようだが、いまのテレビ受像機の番組検索機能を使って、落語番組を新しいものも以前からあるものも特別番組もいろいろ発掘した。これは便利だ。
「落語」とか「寄席」とか、あるいは「談志」とかいうキーワードで探して落語番組をいくつも見つけた。番組表を眺めるだけではとてもこんなに多く気づきはしない。1週間分の番組データが収録されているので、新聞のその日だけの番組表から目で探すよりずっと楽に正確に見つけることができる。
 年末年始は落語番組が多いのだが、ことしはいつもの正月番組とは少し違ってきているようながら落語特別番組がいっぱいだ。

 NHKが「日本の話芸」という落語(とときどき講談)の30分番組を週1回Eテレで流しているのだが、これが放送20周年になったらしく、まず「日本の話芸~珠玉の名演セレクション~」が12月31日から4日間、午前5時から1時間ずつ、さらに「日本の話芸20周年スペシャル~至芸名演の軌跡~」という特別番組が1月3日の夜9時から3時間、放映される。「日本の話芸セレクション」は以前からときどき放映されている。

 TBS「落語研究会」という番組が月1回放映されるが、これの正月版「新春落語研究会」が上席、中席、下席と元日から3日間流される。おまけに12月にも何本も再放送が流された。

 立川談志の追悼番組はずっと断続的に続いていて、年末にTOKTO-MXから「惜別、立川談志を偲ぶ」という連日番組がすでに始まっているし、BS-TBSから12月30日に1本、NHKから1月3日に2本、と正月まで途切れない。
 節操のないことだが、今までのこれらを見つけ次第つぎつぎ観ているうちに、談志のにがみやえぐみにも慣れてきて毒気はむしろ薬味になってきた。

 そのほかの「落語者」だの「今どき落語」だのという落語番組は年末年始期間中は放送されないだろうが、上に書いた特別番組だけで満腹、どうやってこなそうかと悩むことになりそうだ。いやもうすでにそうなっている。

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